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戦術的勝利は戦略的失敗を回復できない。
「戦術の失敗は戦略で補うことが可能だが、戦略の失敗は戦術で補うことはできない」
戦術および戦略の定義
『戦略』『戦術』と言う言葉自体の定義があいまいではあるが、ここでは
基本的には「戦術」(戦闘)は「戦略」的勝利を達成するための一手段としている。
参考
- 戦略
(大局的な)目的を達成するための方法、手段、および行為。 - 戦術
眼前の戦い(戦闘)に勝利するための方法、手段、および行為。
基本的には「戦術」(戦闘)は「戦略」的勝利を達成するための一手段としている。
参考
- 陸大兵語の解
- 戦略
作戦計画を立案してその実行を統制し、部隊行動の方向・目的・時期・場所などの関係性を定めて適切に調整し、会戦を優勢に導き戦果を拡大するための方策。 - 戦術
戦闘での勝利獲得のための戦闘実施の術。
- 戦略
- その他のご意見
- 戦略とは、戦術をもっとも有効に生かすための条件を整える技術。
- 戦術とは、戦場において勝利を得るために兵を動かす技術。
- 戦いの勝敗は、戦場の外で決まる。
戦術は、戦略の完成を技術的に補佐するものでしかない。
戦術的勝利と戦略的失敗(敗北)の事例
珊瑚海海戦
作戦名 | MO作戦 | ||||||
目的 | ポートモレスビーの攻略 | ||||||
損害 |
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結果 | ポートモレスビー攻略失敗 |
確かに海戦とその戦果に目を向ければ わずかではあるが日本軍の勝利と言える。
しかし、航空戦力の損害が大きく継戦不可能になり、目的(ポートモレスビー攻略)は達成できなかった。
防衛側から見れば「敵はポートモレスビー攻略を断念して撤退した」のだから防衛成功=防衛側勝利と言っても間違いではない。
ウォーシップガンナー風に言えば、
副目標(敵艦隊の撃破)は達成したものの主目標(ポートモレスビーの攻略)は達成できなかったわけだから、
ステージをクリアできていないことになる。
これによってポートモレスビーはニューギニア方面における連合軍の一大拠点・策源地として機能を保持。 ラバウル基地は、ポートモレスビーから出撃してくる連合軍爆撃機の脅威にさらされ続け、ダンピールの悲劇(ビスマルク海戦)や連合軍のニューギニア奪還などに貢献する。
また、撃沈したと思っていた(実際は大破)米空母「ヨークタウン」が修理されてミッドウェイ海戦に投入された一方、 航空機を消耗した日本の空母「瑞鶴」(無傷)は参加していない。
※「ヨークタウン」は修理中の「サラトガ」の航空隊を搭載して出撃。
第二次ポエニ戦争(ハンニバル戦争) ローマ vs カルタゴ
目的 | 戦争に勝利する |
結果 | ローマの勝利(カルタゴの敗北) |
ハンニバル(カルタゴ軍司令官)はローマ軍に連戦連勝するものの、ローマとその同盟国の協力関係を崩せず、 逆に自国との連係の不備(政戦不一致)や同盟国の離反などによって不利な状況に追い込まれ、最後には敗れる。
◎戦術的勝利
×戦略的失敗1(外交的敗北/補給不足)
×戦略的失敗2(長期化/遊兵化)
×戦略的失敗3(各個撃破/同盟国の離反)
結果、ハンニバルは機動戦力が劣勢(ローマ軍騎兵約1万 vs ハンニバル軍騎兵約3千)となった状態で戦い、 ザマの戦いで敗退する(兵力的にはローマ軍約4万、ハンニバル軍約5万)。
第二次ポエニ戦争から、以下にような結論が導き出せる。
ハンニバルは軍を率いてアルプス山脈を越えて北部からイタリア半島へ侵攻、
ローマ軍を何度も撃破した。
- AC.218: トレビアの戦い
- AC.217: トラシメヌス湖畔の戦い
- AC.216: カンナエの戦い(包囲殲滅戦の手本として現代でも重要視されている)
×戦略的失敗1(外交的敗北/補給不足)
ハンニバルは戦勝によりローマ同盟国の動揺を誘って離反させようと謀るが失敗し、
逆に本国との連係不備や補給不足に悩まされ、
首都ローマを攻めずに肥沃で補給(現地調達)しやすくカルタゴ本国とも連絡をつけやすい
イタリア半島南部へ主攻を切り替えた。
×戦略的失敗2(長期化/遊兵化)
ローマ軍は何度もハンニバルに敗退するが、その度に動員を繰り返して兵力を回復する。
ハンニバルにはまともに戦っても勝てないと判断したローマ軍は、 ハンニバルとの直接戦闘(正面切っての決戦)を避ける持久戦(遅退戦略)に転じた(ハンニバル軍の遊兵化および戦争の長期化)。
ハンニバルにはまともに戦っても勝てないと判断したローマ軍は、 ハンニバルとの直接戦闘(正面切っての決戦)を避ける持久戦(遅退戦略)に転じた(ハンニバル軍の遊兵化および戦争の長期化)。
×戦略的失敗3(各個撃破/同盟国の離反)
ローマ軍はイタリア南部(ハンニバル軍の制圧地帯)以外のカルタゴ勢力圏(イベリア[ノヴァ・カルタゴ]など)に対して攻勢をかけ
周囲から切り崩していき、さらにはアフリカ(カルタゴ本国)へと進攻、
ハンニバルがイタリアを放棄して本国へ帰還せざるを得ない状況に持ち込む。
また、カルタゴ側の有力な同盟国ヌミディア(カルタゴ軍の騎兵の大半を構成していた)を味方に引き入れる。
また、カルタゴ側の有力な同盟国ヌミディア(カルタゴ軍の騎兵の大半を構成していた)を味方に引き入れる。
結果、ハンニバルは機動戦力が劣勢(ローマ軍騎兵約1万 vs ハンニバル軍騎兵約3千)となった状態で戦い、 ザマの戦いで敗退する(兵力的にはローマ軍約4万、ハンニバル軍約5万)。
- AC.201:ザマの戦い
- 補給が無ければ兵は戦えない。
- 政戦(政治と軍事)が一致(団結)していないと、兵の効果的な運用が行えない。
- 敵部隊を殲滅しても時間的余裕を与えれば敵は戦力を回復する。
- いくら強力でも孤立した部隊は有効な戦力とならない(兵の補充/物資の補給が出来ない→積極的な行動が取れない)。
- 政治的外交的勝利は、戦闘による勝利(戦術的勝利)を上回る結果を生み出す。
- 機動戦力の重要性。
- 戦略的失敗(敗北)は戦術的勝利では回復できない。
戦略的勝利の事例
Ez8 vs B3 〜 機動戦士ガンダム 08小隊
目的 |
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兵力 |
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結果 |
ジオン軍勝利。 ジオン軍の部隊は全滅するが、目的(量産型ガンタンク撃破)を達成。 |
基本的には上の「戦術的勝利と戦略的失敗(敗北)の事例」の米軍(連合軍)側とローマ軍側がその事例になる。 ガンダム好きのご様子なので、おまけで戦略的勝利の事例として上げておく。
Ez8(パイロット=シロー・アマダ少尉)と B3(パイロット=ノリス・パッカード大佐)との戦闘。
B3はEz8に格闘戦で撃破される*1が、爆散する前にガトリング砲で量産型ガンタンクを撃破する。
これにより自軍(自機)は全滅するが、 ケルゲレン(ザンジバル級機動巡洋艦)の脱出ルートを確保するのに成功した。
*1 |
ヒートソードがきちんと機能(発熱)していれば、B3(ノリス)の完勝だった可能性が高い。 |
戦術的勝利が戦略的失敗を覆した?事例
桶狭間の戦い
目的 | 織田=領地の防衛(今川軍の撃退) 今川=織田領の占領 |
結果 |
織田軍が今川軍を撃退。 総大将の今川義元など幹部が討ち取られ、指揮系統が混乱して総崩れ。 |
しかしこれは戦術と戦略の定義の違い、あるいは戦略目標(領地防衛≒今川軍の撃退)と戦術目標(敵部隊の撃破)が似ていることからくる誤解(解釈の違い)だと思う。
部分的な戦略的に不利な点だけをもって戦略的失敗と取るのではなく、戦略目標を達成したか否かを戦略的成功と失敗の判断基準とすべきと考える。
- 戦略的に不利な点:兵力
- 戦略的に有利な点:地の利
- 戦略目標:領地防衛
- その他勝つために必要な戦略的準備:訓練、兵站、兵の配置、情報
以下蛇足
「戦争」は「政治(外交)」の一手段であるように、ここでは「戦術」は「戦略」(または「作戦」目標)を達成するための一手段としている。
また「戦略とは、戦術をもっとも有効に生かすための条件を整える技術」とするならば、戦術が成功したのであれば、戦略も成功したといえる。
桶狭間の戦いにしても、結論から言えば「戦略的構想・判断が十分だった(正しかった)ため、選択した戦法(戦術)が戦略的不利な点(この場合は兵力差)を覆すことができ、戦略目標を達成できた。(=戦略的成功)」と、とらえている。
つまり大局的な「いつどこをどのように何で攻撃するか(守るか)」の判断は戦略の範疇であり、桶狭間の戦いにおいては、奇襲(または急襲とそれによる各個撃破[指揮系統の破壊])と言う戦法(戦術)を選択した戦略的判断によって勝てたのであって、単なる戦術(眼前の戦闘に勝利する方法)に依存した勝利では無い。
ここで籠城と言う戦術を取っていたら織田軍はどうなっていただろうか?。
籠城=野戦では勝てない。の判断だから、(どこからか)援軍を得るか、敵兵が霞みのように消えて無くなるか、敵の兵站が崩壊して撤退する状況にならないと勝利は望めない。 その可能性を拡大するにはどうすべきかを考えてみる。→例えばモッティ戦術、機動戦、ゲリラ戦
尚、桶狭間の戦いは不明な点が多いことと、俗説が有名なことから誤解も多く、正確な考察を得にくい。 従って、以下の考察は一部または大半が間違いである可能性が有ることを記しておく。
- 桶狭間の戦いにおける戦術
基本的には機動戦術による「突破」あるいは「迂回」、それによる「各個撃破」である。
-
桶狭間の戦いにおける戦略
- 兵力差(にもとづく作戦の立案)→戦術の選択
織田軍=約1万、今川軍=約1万9千〜4万5千
少なく見ても約2倍の兵力差がある以上、まともな感覚なら正面切っての戦いは分が悪いとわかるハズである。
兵力差(国力差)は開戦前からわかっていたことであり、 ならば「この状況で勝つ(防衛に成功し、今川軍を後退させる)にはどうすればいいのか」を普通は考える。
その結果「本陣奇襲」(機動戦による各個撃破)を選んだのであれば、それは戦略的な判断である。 - 配置→兵力の集中と分散
丸根、鷲津、善照寺、中島などの守備隊の配置。
城を攻める場合は、防衛側より多い兵力(3倍以上だとも言われる)を当てる。
これらの城(陣)は比較的近くにまとまっており、 このうちの一つを攻めると「他の城(陣)からの攻撃や妨害を受ける可能性が生じるため、 同時に攻めるまたはけん制する必要がある」と、兵力に余裕のある今川軍は判断したものと思われる。 当然織田軍も、今川軍がそのような行動を取ると予測して城(陣)を配置していただろう。
これにより、今川軍は兵力を分散することになり、各個撃破の可能性が生じる。
逆に織田軍は城(陣)に増援を送らず、兵力を温存→集中している。
自軍の防衛陣地(城・陣)の構築は一朝一夕でできるはずもなく、ましてやその配置などは戦略的判断による。
- 情報→攻撃のポイントとタイミング
蜂須賀小六や前野将右衛門などの聞者(現代で言うところの情報工作要員)を使い、義元の動向を探って、勝利に結びつけたとも言われる。
但し、これは俗説で実際には行って無かった(勝敗には関係無かった)と言う意見がある。しかし、まったくやっていなかったと言うことも考えにくい。
何れにしろ、情報の重要性を理解しそれを戦いに利用できるように事前に準備するのも戦略的判断。
- 兵力差(にもとづく作戦の立案)→戦術の選択
- 戦略的不利な点(兵力)と戦略的有利な点(地の利、情報、練度、装備など)を見極め
- 不利な点を有利な点で補うべく、事前準備を行い
- 勝てる可能性が少しでも高い作戦を考え、適切な戦法(戦術)を選択し
- その戦法が有効に行える環境を(できる限り)整えた
*1 | 奇襲では無く急襲(強襲)だったとの見解が現在は主流らしい。 |
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